島袋道浩(アーティスト)
島袋道浩さんは、1990年代初頭より世界を旅しながら、そこに生きる人々の風習や環境、動物に関係したインスタレーションやパフォーマンス、ビデオ作品を制作し、新しいコミュニケーションのあり方を問い続けるアーティストです。海の向こう、そして水辺には違う世界があるんだと小さい頃から感じていたと語る島袋さんは、海や川にまつわる作品を数多く手がけてこられました。そこで、堂島川と土佐堀川に挟まれた中州である中之島の水辺にまつわるアイデアをリクエスト。中之島と北浜テラス、木津川、東横堀川、道頓堀、大阪湾など水都大阪のリサーチを経て、島袋さんがアイデアの構想に至るまでの日々を追います。
【島袋さんがアイデアの構想に至るまでの日々】
・船による中之島1周リサーチ
・北浜テラス視察
・中之島の水辺活動実践者へヒアリング
・大阪ふれあいの水辺および中之島の土佐堀川対岸のリサーチ
・中之島の川から大阪湾までを船でリサーチ
・スワンボートでの渡し船実験
・渡し船実験の検証
・水辺活動実践者へのヒアリング(トーク)
2つの川に挟まれた中州「中之島」を舟で巡る
中之島周辺には10を超える舟運業があります。その一つである観光船「御舟かもめ」に乗って、八軒家浜の船着き場から中之島を一周し、街並みを川から眺めてみることからリサーチがスタートしました。国内外の様々な海や川、船に接してきた島袋さん独自の視点で、中之島の水辺に生息する渡り鳥や魚、護岸の状況などを観察しながら、中之島の特徴を活かしたプロジェクトの構想が始まりました。

中之島の対岸はカフェの聖地「北浜テラス」
船から中之島や対岸を眺めてみると、土佐堀川の北浜付近から栴檀木橋の護岸沿いにテラス席のカフェが立ち並んでいることを発見。早速、船を降りてカフェへと向かい、店の奥へと進んだテラスから見えた景色は、中之島のシンボルとして大正時代から佇む中央公会堂を臨む、心地良い空間が広がっていました。その後、土佐堀川の難波橋から栴檀木橋の周辺が「北浜テラス」と名付けられ、十数店舗のカフェやレストランによって川床が整備されていることを知った島袋さんから、中之島と北浜テラスを結ぶ「渡し船」のアイデアが生まれました。現在では中之島の水辺利用が促進され、周辺を巡る舟運業は数多く存在しますが、あえて中之島から対岸に渡る船はありません。舟運という形式は同じでも、既存の発想とは異なる視点で舟と人の関係を見つめなおす島袋さん。しかも佐渡にあるたらい舟の手漕ぎで渡れる船が面白いのではないかと、妄想は膨らみます。


中之島の水辺事情を知る
数件のカフェをハシゴし、それぞれのテラスからの眺めを確認後、北浜テラスについて知る人物に会いに行きました。「水辺のまち再生プロジェクト」など中之島の水辺で様々な活動を行ってきた末村巧さんは、自らの会社名を「水辺不動産」とするなど、水辺の事情通であり水辺活用のプロともいえる存在です。その末村さんに、北浜テラスはもとより、これまでに中之島で展開されてきた水辺の活動についてお話を伺いました。
中之島周辺では、2009年の水都大阪以降から水辺の規制緩和によって、中之島公園内のローズポートでの貸しボート、道頓堀でのスワンボートのレース、土佐堀川沿いに整備された川床「北浜テラス」の実践と護岸整備など、様々な試みが行われてきたことを知り驚く島袋さん。その後も都島まで足を伸ばし、中之島から徒歩圏内の水辺事情を体感しながら散策が続きました。


川から海へ:水都大阪の水辺事情 その1
自身の作品《白鳥、海へゆく》(2012年/2014年)で、岡山の後楽園脇にあるスワンボート乗り場から瀬戸内海の犬島を目指すプロジェクトを行った経験のある島袋さんは、ビルが立ち並ぶ中之島の川辺にスワンボートが浮かぶことの違和感に面白さを見出し、渡し船としてスワンボートを活用することが可能か、渡し船の接岸と乗降に必要な台船や階段の形状など、さらにリサーチを進めることになりました。
まずは近辺で借りることができるスワンボートを探し、その結果、大正区でスワンボートを所有されている方から一時的に貸出していただけることとなり、早速、実際のスワンボートを見に行くことに。豪奢な近代建築や高層ビルが立ち並ぶ中之島の水辺から、木津川を下り大阪湾へと繋がるルートを辿って大正区に向かう途上では、個人の創意工夫に満ちた“護岸階段”とともに、水門や住民の重要な足である渡船、砂利船などの産業船等々、わずか30分程度でまったく異なる生活環境や地域性や文化圏へと連なる水都大阪の文脈と、折しも一ヶ月前9月の台風によって被害にあったさまざまな影響を知る旅にもなりました。




川から街へ:水都大阪の水辺事情 その2
いよいよスワンボート渡し船の実験ですが、その前に、各種準備が重要です。潮の満ち引きによる水位の計算、警戒船の手配、定期船との運行時間の調整などの準備を経て、まずはスワンボートを大正区から中之島まで牽引することから始まります。先日とは異なり、京セラドーム大阪付近の木津川から道頓堀川水門を通って、ミナミのど真ん中を通って、阪神高速高架下沿いから東横堀川水門を出て、大川から中之島のバラ園にあるローズポートに到着しました。いわゆる観光船が巡る繁華街を中心としたルートを通ると、大阪の街がいかに水でつながっているかを実感させられます。




「スワンボート渡し船」構想と実験
島袋さんのスワンボート渡し船構想は、アートエリアB1や美術館など中之島を訪れた人が、スワンボートに乗って自らが漕いで対岸のカフェまでたどり着き、お茶を楽しんで戻ってくる。“あえて、わざわざ”を楽しむというものです。よって、スワンボートに乗ったことがない人でも漕げるのか。川の深さや波の強さ、対岸までどれくらいの時間がかかるのか。実際にやってみなければわかりません。また、一般の人がスワンボート渡し船に乗る場合を想定した実現可能性についての検証も不可欠です。そこで古くからこの地で舟運事業を担う一本松海運の吉田公司氏や建築設計事務所dot architectsの土井亘氏にご協力をいただきながら現場検証も行いました。

さて、いよいよ実験開始です。ローズポートに到着、スワンボートに乗り込み、足漕ぎで渡し船のポイントまで向かいます。その後、土佐堀川を進み、栴檀木橋東側の北浜テラス前の地点とその対岸とを往復してみました。実験を行った日は、ほとんど波がない時間だったため、意外に漕ぐのは難しくありませんでした。観光船とすれ違うとその波で少し流されることもありましたが、事前の申し合わせの効果があって安定感はありました。
中之島から北浜テラスまでの往復時間は10分ほど。しかしながら最も意外だったことは、スワンボートの見た目の愛らしさやゆったりとした優雅さに反して、実際の動力となるための漕ぐ動作は必死なため、景色を見る余裕が全くなかったことでした。また、アートエリアB1前の護岸(水中)は階段状になっているため、接岸用の台船の形状や階段の設置に関する工夫を要することなどが判明しました。





実験のその後:水辺活動の実践者との対話と今後に向けて
これまでのリサーチで、中之島ではすでにさまざまな試みが行われていることを知った島袋さん。リサーチ後、中之島の水辺の活動に携わってこられた様々な立場の方々をゲストに迎え、その活動について伺うことになりました。そのお一人である北浜水辺協議会の出﨑さんから、江戸から明治時代の中之島や北浜の水辺についてお話いただきました。当時は、「淡路屋」をはじめ高級料亭や料理旅館が建ち並び、まだ川側が浜辺であったため小舟で店に乗り付けていたそうです。その情景を取り戻したいという思いが「北浜テラス」の整備に至る動機であったとのこと。当時とは異なるものの、奇遇にも島袋さんのスワンボート渡し船の構想・アイデアは、北浜の歴史に通じるものであり、プロジェクトの可能性と根拠を確信する機械となりました。さて、今後も、スワンボート渡し船プロジェクトの実施に向けて、リサーチと対話と実験を進めていきます。
リサーチでは中之島周辺の様々な水辺にまつわる団体に協力いただきました。
・観光船「御舟かもめ」(https://www.ofune-camome.net/)
・北浜テラス/北浜水辺協議会(https://www.osakakawayuka.com/)
・水辺のまち再生プロジェクト(http://www.suito-osaka.net/)
・水辺不動産(http://www.mizube-fudosan.com/)
・一本松海運株式会社(http://www.ipponmatsu.co.jp/)
・大阪水上バス株式会社(http://suijo-bus.osaka/)
・ご来光カフェ/NPO法人もうひとつの旅クラブ(https://tabiclub.org/goraikocafe/)
島袋道浩|Michihiro Shimabuku
1969年神戸市生まれ。那覇市在住。1990年代初頭より世界中の多くの場所を旅しながら、そこに生きる人々や動物の生き方やコミュニケーションに関する作品を、インスタレーションやパフォーマンス、映像、写真、ドローイングなど様々なメディアで制作している。船の旅を物語として記した《日本の船旅》(2001)、ジャガイモが水の中を泳いで魚と出会う《シマブクのフィッシュ・アンド・チップス》(2006)、島の浜に落ちている流木をそこを訪れた人と起こしていく《起こす》(2017)など、海や川、水にまつわる作品も多数。ヴェネチア・ビエンナーレ(2003、2017)、シャルジャ・ビエンナーレ(2013)、リヨン・ビエンナーレ(2017)など多くの国際展に参加。近年の主な個展に「島袋道浩:能登」(金沢21世紀美術館、2013)、「タコへ、サルへ、そして人間へ」(イヴリー現代アートセンター、2018)などがある。
http://www.shimabuku.net/